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私の手術体験:胸腔鏡下肺部分切除術:その2 [私の手術体験]

まな板の鯉
ついに手術の日がやってきた。やることは大概把握してるとはいえ、不安が全くないと言うことはない。
9:00から浣腸をしてお腹のものを出さなくはならなかった。幸いにも看護士さんがきてくれたので多少気は楽だったが。しかし、浣腸はつらい。しばらくトイレから動けなかった。
その後、10:00頃から右の前腕に点滴が入る。その頃母がやってきて、ちょうど主治医の先生も入ってきて手術の決行が伝えられる。そして12:30にとどめの一発、麻酔の前処置で右肩に筋肉注射。これは痛い。筋注ってこんなに痛かったんだなぁ、とまさに痛感。今考えても,本当に痛かった。

ここまで来たところで13:00にお迎え。作りの柔そうなストレッチャーにのって3階の手術場に向かう。
笑顔で出て行くがきっとひきつった笑顔だったに違いない。
手術場の看護婦さん、看護士さん達に迎えられ、手術場に入っていく。

手術場にて
手術場は私にとっては臨床実習で見慣れたものだった。しかしいつもと見え方が違う。
私に見えるものといったら無影灯ぐらいのものだ。そして手際よく心電図、パルスオキシメーター、血圧計といったモニター類がセットされていく。

そういえば手術台が暖かいなぁ、などと思っているうちに、先生が私の顔の上からのぞき込み、麻酔の導入が始まる。
「じゃぁ、マスクで酸素をすって下さい。」マスクがかぶせられ、しばらくのちに、「マスキュラックス8mg入れて。」という声が聞こえた。ふーん、サクシンじゃないのかと思っていると,次にラボナールが静注されたようだった。
私の方はといえば,まず呼吸が出来なくなり,金縛りの状態になった。そしてすぐ後に抵抗できない眠気に襲われる。そして頭から落下するような感覚のなかいつのまにか眠ってしまっていた。
正直言って,あまり気持ちよいものではなかった。私は何をされるかかなり知っているからましだったのだろうが,これが何も知らなかったらさぞかし辛いし、恐いだろうと思った。

何か名前を呼ばれている気がして、目を開けたら手術は終わっていた。
麻酔から覚めると多少ぼんやりしているものの、今の自分の状態はほとんど把握できた。見当識障害もない。
「病室に帰りますよ」ベッドに移りもとの病室に戻った。
しかしなんだかんだ言っても,しんどいものはしんどい。
ぐったりとして体を動かせないのだ。
おまけに喉は渇く。あまりに喉が渇いたので,思わず茶を飲んでしまった。
今思うとなんて恐ろしいことをしたんだろうと思うが,幸いなことに誤嚥もしなかった。
もちろん先生には叱られたが。
痛み止めをしてもらい,眠りについた。

目覚めの朝
翌日になり,すっきりと目覚めた。体はだるいが,大分ましになっている。
だが動けない。そう,私の体には点滴のラインと心電図モニター,尿道カテーテル,トロッカーが入っているのだから。朝一番に看護婦さんが入ってきて,胸部レントゲンを撮影するという。
車椅子にのり,レントゲンをとった後,とにかく尿道カテーテルと心電図モニターを早くはずしてほしいと頼んだ。
心電図モニターは別にいいのだけど,尿道カテーテルは気持ちが悪かった。途中で折れ曲がったりしていると膀胱が緊満するのだ。
看護婦さんは,こんな患者のわがままにも応じてくれて,モニターとカテーテルは抜去してくれた。
これで大分楽になった。尿道カテーテルは二度としたくないと思ったことは言うまでもない
昼頃から食事が出て,体調も良くなってきた。しかしあまり自由には動けない。
ベッドの上で寝ているしかないが,かといって勉強する気も起きない。
友人が持ってきてくれたテトリスをひたすらやっていたような気がする。

お見舞い
病院の個室に一人でいるのは予想以上に孤独で,寂しいことだった。
勉強しながら合間に,誰かこないだろうかと,よく思ったものだった。
友人の中に,O君という男がいて,医大の同級生で,私の親友でもあるのだが,彼は病室にやってきてひとしきり話が終わるとベッドサイドに座って,私にくれたテトリスをやっていた。私は私でコンピューターの雑誌を読んでいる。
別に話をするわけでもない。部屋にテトリスの音だけが鳴り響く。時にぽつぽつ話しながら,そんな時間が1時間か2時間続く。
それにしても傍らに人がいてくれるということが,こんなにも患者をほっとさせるものなのかと思った。
確か,彼のお母様が入院されていたと思う。だからベッドに寝ている患者の心境を知っていたのだろうか。私は良性疾患で,回復する途中であったからまだしも,悪性疾患の患者さんの孤独感はもっとすさまじいものだろう。
O君は私に,患者の傍らにいるということが,どんなに大切な事か教えてくれた。

ドレーン抜去
10月21日の朝の回診でドレーンを抜去することになった。
私に入っているドレーンは閉鎖式ドレーンなのでドレーンの先にはQ in oneというパックがついており,排液を吸引する仕組みになっている。大きいので,これをもって動くのが難儀なのだ。しかも安定が悪いのでこのパックがすぐこける。そうすると排液量がわからなくなってしまう。
「では,1,2,3で息を吸って止めてください」「1,2,3」
先生が一気にチューブを引き抜き,穴を縫合。無事にドレーンは抜けた。

ドレーンを抜いた後は,抗生物質の点滴のみが続行され,あとはなにもなし。検査をするでもない。
やることと言えば,国試勉強である。問題集を何冊か終わらせてはつれあいに新しい問題集をもってきてもらった。教科書もよく読んだと思う。
看護婦さんが何度か散歩に行こうと誘ってくれたのだが,ものぐさな私は断ってしまった。
今思えば惜しいことをしたと思う。看護婦さんと二人で晩秋の深泥池を散歩する。
サナトリウム文学みたいではないか!

退院!
10月26日の朝に次に外来にいつくるか聞き,退院となった。
術後8日目のことだ。今思えば随分長いが・・・。
いろいろと持ち込んでいたので,やたらと大荷物である。しかしこれで自由の身だと思うとうれしくて仕方がなかった。主治医の先生は,開胸ではこうはいかないと言われていた。
私自身,疼痛も少なく予想外に楽だったと感じた。
しかし,1週間の入院とはいえ,術後であったので退院後1週間ぐらいは,ふらふらしていた。足元が定まらない感じなのだ。
少しずつ体調はもどっていき,2週間ぐらいで本調子になった。
私はその頃から外科医を目指していたが,二度と手術は受けたくないと思った。


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平岡沙千

はじめまして。私も、ちょうど、二年前の年末に、右肺下を切除しました。
そのときを思い出します。また、時間掛かりますが、そのときの日記をまとめます。
by 平岡沙千 (2014-01-11 21:24) 

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